西成の写真が定期的に回ってくる。この手の写真に覚える嫌悪感はなんだろうかと都度考えるようにしている。多くの人が意識的(あるいは無意識であってもいい)に撮らないものを撮る、それで何かを克服したと思い込む驕り。他人やその暮らしを持ち出して、貧しさ、汚さ、老いとして対置させる。
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西成の写真が定期的に回ってくる。この手の写真に覚える嫌悪感はなんだろうかと都度考えるようにしている。多くの人が意識的(あるいは無意識であってもいい)に撮らないものを撮る、それで何かを克服したと思い込む驕り。他人やその暮らしを持ち出して、貧しさ、汚さ、老いとして対置させる。
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